「物事の可否を判断できるのは、その物事≠ノついて知っているからでしょう?」
 明るい栗色の髪を揺らしながら得意気に人差し指を立てたユウは、窓の外をのぞき込んで色の白い手からライターをもぎ取った。ベランダに腰を落ち着けて、風に揺らぐ洗濯物を見上げながら片手に残った煙草を玩んでいたヨウは、仕方なさそうに火のついていないフィルターをくわえた。
「どうでもいいけどさ、ライター返してくんない?」
 くわえ煙草の明瞭としない声で眉間にしわを寄せたヨウは、空っぽになった右手を窓枠に乗せながら垂れる栗色の髪を見上げた。ユウはその手の平を抓る。
「自分が幾つだと思ってるの? 私の話を聞いてないから分からないのよ!」
 抓られた手の平の痛みを飛ばすように振りながら口元に笑みを浮かべた。ユウの演説は続く。
「例えば今だって、物事――煙草について知らないから、吸っていいか駄目なのか分からないんじゃない。煙草っていうのは二十歳からで、あなたはまだ十ろ……」
「ユウ」
「何? 分かってくれたの?」
「最近キレイになった。だからライター返して」
 たまに言うのなら殺し文句になりそうな褒め言葉も、使い方を間違えれば藪をつついて蛇を出すようなもの。むしろ、ここまできたら嫌味。
 やはりユウは口を尖らせて再び目の前に出された色の白い手を叩く。
「駄目! あんまりふざけてると、私でも怒るよ? 人が心配して言ってるのに!」
「……あー、ユウが心配してくれてんのは充分わかってるって」
 唇から離した煙草をぐしゃりと握って、ヨウは丸まった煙草の成れの果てを自分の真横に棄てた。ユウが窓から転げ落ちそうなほどに身を乗り出して、ヨウの棄てた煙草を指先でつまみあげる。
「捨てちゃダメでしょ。だいたいヨウは……」
「ん」
 一音だけの声に言葉を遮られたユウは訝しげに眉を寄せ、頬に触れた煙草の匂いが染み付いた手に戸惑った。初めて触れられたわけではなかったが、彼の様子がいつもと違う。ヨウは少しだけ寂しげに目を細めて、自分の寄りかかる壁の上から見おろすユウを見あげた。
「冗談のつもりだったんだけど……、冗談じゃないな。ユウ、キレイになった」
「……なっ」
「こっちおいで、ユウ」
 いっそう低くした声で囁いたヨウは身をよじって立ち上がると、開け放たれた窓ごしにユウの首に両腕を回して栗色の髪を乱しながら頭を抱きしめた。びくりと肩をすくめたユウは恐る恐る目線を持ち上げ、ヨウが口の両端を持ち上げているのを上目遣いに見た。ユウとヨウの仲は生半可なものではなく、たったそれだけのことで相手が何を思っているのかが手に取るように分かる。 モヤシ以下のアルファルファ並みに弱そうで意外にがっしりとした肩を押して体を離したが、ヨウはユウの首に回した腕を離さずユウは逆に強く抱きすくめられた。
「ちょっ、ちょっとヨウ!」
 と焦ったユウの声も耳に入れず、ヨウはユウに口づけた。状況からして嫌がるべきなのか従ってもいいものか悩んだユウはとりあえず声を出そうとしたが、冷静に考えてみれば口はヨウに塞がれている。
「……んっ、」
 どうにか喉から音を出したものの、ヨウは聞いてくれない。しばらくしてようやく、ここ二年ほど吸い続けた煙草のせいで線の細いユウよりも肺活量の乏しいヨウが、ユウの唇から唇をどけた。大きく息を吸い込み、ヨウはユウの肩に手を置いたまま表情だけでにやりと笑った。
「ありがとな」
 などと言っていつの間にか取り出した新しい煙草に火を点けた。みるみる頬を染めたユウは口を尖らせた。
「やっぱり! ライターのためにこんなことするなんて! ……ヨウらしすぎるよ」 「うん。ちゃんと僕のこと分かってるじゃん」
 機嫌よく笑ったヨウは、煙を吐き出しながら指に挟んだ煙草を持ち上げた。
「ごちそうさまです」  ヨウが何に対して言っているのか――ユウは窓枠から手を伸ばしてヨウの頬を引っ張り、想像できる限り不機嫌そうに顔をしかめた。月に一度も見ることのないユウの表情に、ヨウは前髪をかき上げながら神妙に言ってのけた。
「……いや、ユウ。お前の言ってることは正しかったよ。物事の可否を判断できるのは、その『物事』について知っているから≠セっけか? まさにこの場合僕はユウをよく知ってるから、キスしていいのかどうか判断できたってわけだ」
 いまだ口を尖らせるユウを見てヨウは再びのそりと立ち上がり、いとおしそうに唇を近づけるとユウは顎と口をすっと引き、少し上目遣いにヨウを睨んだ。ユウが睨んでいることなど気にもせずヨウは、
「別にいいじゃん。初めてじゃないしさ」
 初めてがこんな状況だったら僕男として死にたいけど、と付け足した。
 赤くなったユウが壁越しに座り込んだこともお見通しのヨウは、満足そうに煙を吐いた。



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