あなたが喋る。 あなたはよくその仕草をする。 あなたの声は低い。 あなたが笑う。 私の日常は常に2人称で動いている。私、という1人称の主観は薄く薄く儚く、ユウトの立場でものを考え感じる中に共生しているだけの視点。自分を見失っているわけではなくて、ただ、彼の存在が大きいだけだと知ったのは彼と暮らすようになってから。言葉に言い尽くせないほど大好きだし、愛しているし、感謝している。いつもならユウトが度を越してニブいことだって「可愛いなぁ」で済んでしまう。 たとえ喧嘩(私とユウトも喧嘩くらいするのだ)をしたとしても、いつだって私の中には綺麗なまま思い出が残っているからすぐに彼の傍に戻らなくちゃって慌ててしまう。なのに。 なのに、なんだって私は今夜もエナちゃんの部屋に泊めてもらっているんだろう。 僕は昔、自分の身を削ってまで人を守るか?という問いに迷わず「はい」と答えられる人間になりたいと思った。もちろん不特定多数の人を守るのではなく(そんなのはスーパーマンだけで充分だ)絶対に守りたいと思う人だけをすべてのものから守りたいと思ったのだ。そういえばスーパーマンの故郷である惑星はクリプトン星だっただろうか。とりあえず今は自由の国のヒーローの出身地なんてどうでもいい。 せっかく自分の精神だろうが体だろうが何が傷ついても守りたいと思う人が現われたのに、なぜか僕はひとりで自分の部屋の床にあぐらをかいて腕を組んでスーパーマンの故郷に思いをはせている。本当に今はアメリカンなヒーローの出身地なんてどうでもいい。 なにがどうなったせいで僕は5日もひとりで眠っているんだろう。 おかしいくらいユナミが恋しいのに、なにが彼女を怒らせたのかすら僕には分かっていない。 たぶんユウトとユナミの2人に「痴話喧嘩に俺らを巻き込むな」と言っても通じないだろうが、俺とコウジとエナの意見はその点で一致している。その喧嘩の原因が浮気(俺が言っても説得力は皆無だが)とか、そういった深刻でリアルな問題なら曖昧にせずきっちり白黒つけるべきだと思うが、喧嘩の原因がフレグランスだとか聞くと仲間ながらこいつら馬鹿なんじゃねぇかとか思ってしまう。 ライブなんかでは妙にクールに振舞っているくせにユウトは大人気なさすぎ。このふたりが喧嘩をはじめたときは誰もが驚いたが、その原因を聞いてしまえばバカップルの痴話喧嘩に巻き込まれた俺とコウジとエナの意見はユナミに好意的だ。 というよりユウトは一度拗ねると部屋から出ようとしないのでバンドの練習日になっても練習ができない。まさか喧嘩中のユウトとユナミの2人を部屋にほったらかして3人で練習に行くわけにもいかないし。ああもう、本当馬鹿なんじゃねぇかあいつらは。 なんで女が香水の匂いを変えただけで喧嘩になる? 本ッ当、ユウトはこういうところが変にガキっぽいなぁと思う。もし自分の彼女がフレグランスの匂いを変えたとして、そういう時は本心がどうあれ男としては肯定的な意見を言ってあげるべきなんじゃないか。いや、俺はまだ女の気持ちがよく分からないけど、少なくともエナが「ユトさん最低や!」ってはじめのうちは騒いでいたから俺の考え方もそう間違ってはいないだろう。もっともそのエナも今日なんかは「あの2人、早いとこ元に戻って欲しいんやけど……」と疲れた顔でぼやいていた。 毎朝エナを叩き起こしに行かざるを得ない俺はよく知っているが、エナの部屋に置いてある家具は小さなちゃぶ台と3段くらいの小さな箪笥、それに子供用かと疑いたくなるほど狭いベッド1つきりなのだ。部屋自体が狭いというのもあるが、床に布団を敷く面積(ついでに敷く布団も俺らのアパートには余っていない)がなく、いくら小柄な女とはいえそんな部屋に2人の人間が寝泊りするというのだからエナに同情してしまう。とくに寝るときとか、非常に狭苦しそうなんだけど。 どうしてユウトは(素だったのだろうけど)あんなこと言うかな…… 最低。最低。 女の子がフレグランスを変えたとして、肯定もしくは建設的な意見を言うのが彼氏として当然の言動だと言うのはあたしだけじゃないと思う。そうじゃなくとも、フレグランスが変わったことに気づいた途端に固まって金縛りが解けたと思いきや微妙な表情で「いくらした、それ」の一言では腹を立てない女の子はいない。他に言うことはないんか?あるやろ当然。 確かに「いくらした」と聞きたかったのはあたしもだけど(あたしの嗅覚が狂ってなければ某海外ブランドの匂いだったから)、きっとというか、おそらくというか、絶対にユトさんはブランドだとかなんだとか、そんなことを知らず自分たちの貧乏生活を思って聞いたのだろう。これはあたしの勘ではなく、腹を立てたユナミさんがあたしに愚痴を吐く過程で口にしたことだ。たぶん当たってる。 あたしは絶対に心からユナミさんの味方だ。日頃からちょっとあのニブすぎる男を懲らしめたほうがいいと思っていたところだし。そりゃあ好きだから一緒にいるんだろうけど、あまりにもユトさんがニブすぎて最近はユナミさんが可哀想に思えてきた。 なんだけど、さすがに狭いベッドに2人で寝るのはもう勘弁して欲しい。 今は夏真っ盛りな上あたしの部屋にはクーラーがないから。 「なんか恐いんやけど」 ソファの上であぐらをかいたエナが言い、ぼんやりとテレビ(このアパートでおそらく一番贅沢な娯楽用品)を眺めながら歯を磨いていたコウジがエナを振り返ってから何度か頷く。新しい履歴書を書いていたニイがソファに挟まれるように据えられたテーブルから顔をあげ、手にした煙草に火を点けながら言った。 「誰か、ユウト説得してきたらいいじゃねぇか。こんな時間にギター触るのやめろってだけでも」 エナが即座に答える。 「違う。違うんよニイさん。あのユトさんがアンプも使わずに、しょぼくれてエレキ触ってるってことが怖いんやて」 実際、ユウトの部屋からはただ弦が弾かれる「べん」「べん」という音がランダムに漏れていた。アンプを使わないエレキギターほど中途半端で妙な音はない。 「エナ。ユウトに自分の失言を分からせて反省させろ。ありえねぇこの憔悴した音」 「なんであたしが!」 とエナが声を荒げると同時に、洗面所で口をゆすいできたコウジが言う。 「こんな音聞き続けてたら、俺カビ生えそう」 エナはそれを聞いてソファの上に膝立ちになってから、背もたれ越しに自分の後ろに立つコウジの胸ぐらを片手でぐいと掴んだ。コウジの表情が引きつる。 「じゃんけん」とエナ。 「嫌だ」とコウジ。 綺麗に低い声と高めの声が重なった。 「じゃんけん。絶対じゃんけんやで!」 「嫌だ。マジ嫌だ。それ絶対不公平なゲームだろ」 なぜかいつも最初にチョキを出して当然のように負け続けるコウジは反対する。余談だがバンドを組んだ直後はじゃんけんで買出し係を決めていたのだが、絶対と言い切れるほどコウジが一番に負けるので最近は有無を言わせずじゃんけんなしでコウジが買出し係を押し付けられている。 非常にくだらない言い合いをはじめた2人に、苦笑と嘆息を同時に向けながらニイが言った。 「お前らまで意味なく喧嘩すんじゃねぇ。ちっと黙れ」 びくとコウジとエナの2人揃って動きを止め、飼い主に叱られた犬と猫さながらにしゅんとする。 「喧嘩するくらいなら2人で行け」 常日頃からコウジとエナは兄弟みたいにふざけあってじゃれているし、ユウトはニブいうえ無愛想であり、ユナミはいつでも穏やかに微笑。こんな4人を放っておいたらいつまで経っても収拾がつかないので必然的にニイが全員をまとめる立場になる。ニイが指示をしてもユウトとユナミはそれぞれ否建設的であったりもしくは建設的であったりする意見を言うが、いたずら盛りの兄弟のようなコウジとエナにとってニイ(大黒柱?)の指示は絶対なのだ。 「……はーい……」とエナ。 「……あい……」とコウジ。 2人揃って気だるげな返事を返して、今度はどっちがノックをするかという問題で喧々囂々と言葉を戦わせはじめた。 結局じゃんけんで負けたコウジがユウトの部屋をノックし、あからさまに不機嫌な声を突き刺されながら2人揃ってユウトの部屋に踏み込むことに成功した。「あぁ?」だとか「…………」だとかユウトらしいといえば彼らしい反応を返され、なにやらコウジは精神的に満身創痍だったが。 「……なんだよお前ら。俺の部屋以外で騒げよ」 うっわぁ暗っ。のちにエナはそのときのユウトをそういう言葉で表現した。 「……だって」 圧倒的な不機嫌、無愛想、仏頂面に気圧され、そっぽを向くユウトに向って正座をするエナが俯くと、その隣で正座をしていたコウジが後を引き取った。 「だってユウトさ、なんでユナミさんが怒ってるのか気づいてないだろ」 表情やら態度こそ変わらないが、ユウトの体が強張る。 「分かれよ。お前とユナミさんがギスギスしてると俺らも痛いわけ。だからさっさと土下座でもなんでもしろよ。ぶっちゃけ、ユウトも辛いんだろ?」 ぶんぶんと音が聞こえそうなほどエナが頷く。 「…………」 黙るユウトにエナが決定打を打つ。 「分かった! あたしらはこれからどっか出かけるから、ユトさんはユナミさんと仲直りしぃや」 「……は?」 低い声で返すユウトを自然に無視してコウジが立ちあがりながら言った。 「決まりー。行こうぜエナ」 「おう。なぁコジさん、あたしアイス食べたいんやけど。ハーゲンダッツ」 「奢れってこと? ヤだ。高いし」 「男らしくないから虚弱って言われるんやで?」 「所持金と男らしさと体力は関係ありません。……ってお前また虚弱って!」 相変わらずうるさい2人は騒ぎながらユウトの部屋を出るなり煙草を吹かしていたニイを引っ張ってコンビニへと出かけていく。10秒もしないうちに「財布忘れてどうすんねん!」とエナにどやされたコウジが文句を垂れながら戻ってきたが、やはり10秒もしないうちに出て行った。 残されたユウトは深く大きな嘆息をつく。 だから、俺のなにが悪かったのか分かんないんだって。 一足先にエナの部屋に引っ込んでベッドを占有しながら目を閉じていたユナミはころりと寝返りをうった。寝返りをうっても何にぶつかるわけでもない。それはひどく冷え切ったことだった。それが「物」であろうと「者」であろうと、ものをなくすのは嫌いだし、ものをなくすのはもう充分なのに。 自分が気に入ったから新しいものを買って、それを大切な人にも「いいね」と言ってもらえるのはすごく嬉しいことだ。実際にニイもコウジもエナも、ユウト以外の全員がユナミから言い出す前にフレグランスの変化に気づいて肯定的な言葉をかけてくれた。細かくいえば、「いいんじゃね」とニイが。「これもユナミさんに合うと思う」とコウジが。「うあーいいなぁいいなぁ! ユナミさんらしい香りやね」とエナ。「いくらした、それ」とユウト。並べてみると改めて思う。自分の彼ながら最悪だ。 私、贅沢なのかな。 そう思う自分と、 ユウトが悪いんだから。 そう思う自分がいた。 とん。 ドアの向こうで音がした。 「ユナミ」 声がした。 何か返事をしたかったが、ユナミは何を答えていいのか分からずに無言を返す。 さ、と細かなものがドアに当たる音。たぶん、ユウトはドアに手の平とおでこをくっつけた。 「……ごめん……とか言って、俺、まだ分かってないんだけどさ……」 あぁ、本当にへこんでる。思ったけれど喉が声にすることはなかった。 「……本当ごめん」 そして次の言葉。 「……頼むから戻ってきてくんない……?」 小さく最後の言葉。 「も……限界」 ユナミも、これ以上何も喋らないままでいるのは限界だった。 そっとドアが押され、僕は静かにドアから離れた。すぐそこにユナミがいて、なんだか泣き出しそうな顔をしていて、それでもまだ怒っているみたいな顔をしていた。 「……ごめん」 一方的に言い、ユナミを抱きしめる。もう限界。 「謝られても嬉しくない」 小さな声で言われ、僕は内心慌てる。 「……あぁ……でもごめん。本当に」 さらにぎゅうと抱きしめ、ユナミの反応を見た。 「…………」 彼女は何も言わず、僕もこれ以上言えることがなかった。 しばらく沈黙があった。 「感想」 「……?」 「感想聞かせて」 思わず「何の?」と聞き返しそうになってあぁフレグランスのことかと思い当たる。ここまでくると我ながら末期的だ。 「……ん」 小さく頷いてからユナミの首筋に口吻けるように鼻を押し付け、よくその香りを感じてから答える。 「え……前のと同じ……?」 言ってから後悔した。確かに僕の嗅覚は前にユナミが使っていたフレグランスと同じような匂いを感じたのだが、馬鹿正直に答えるなんて間抜けだ。いやその、と言い訳しようかと思った瞬間、ユナミが顔をあげた。 「あたり」 ユナミが小さな声で付け足す。 「……ユウト、新しいのが気に入らないのかと思ったから」 どうしよう、と思った。ユナミはいちいち可愛すぎる。 僕は苦笑に近い顔で笑い、 「ううん」 短く答えた。 了 一言でもコメントいただければシリーズとして書く気力も湧きます。 ≪ □ ≫ |
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