「どれだけの力を溜めたものがぼくなのか」 「たぶんそれは、ほんのちいさい力」 「それでも君というエネルギー源があれば、きっと」 頼むから音読するな。真顔で音読したくせに首を傾げるな。 「なぁ、コジさん。これ、すっごく女々しいんとちゃう?」 女々しいっていうな。 「ていうかユウトの書いた曲に合わせるにしろ字余りだろ」 う……。 「…………」 お願いだから黙るな。せめて毒舌でもいいからコメントしてくれ。 「でもコウジくんらしいわ」 励ましてくれるのは嬉しいけど、くすくす笑うな。 「あぁもうっ、なんなんだよお前ら! 文句ばっかじゃねぇか!」 さすがの俺も同居人の全員にこんな反応をされれば本気で腹ぐらい立てる。どん、と居間のテーブルに手を叩きつけると、俺が歌詞を書いてみた紙が何枚かまるで漫画みたいにふわりと舞った。 はあと嘆息を吐き出す。一緒に疲れだとか苛立ちだとか罪悪感だとか、そういう類の感情が吐き出されてしまえばいいと思ったが俺の喉が搾り出したのは二酸化炭素だけだった。 あのあとふいに不機嫌になって部屋から出てきてしまったことに押しつぶされるくらいの罪悪を感じるし(なにせ新しく曲を作るための会議というか相談会みたいなことをやっていた途中だったから)、しかし俺が5パターンも詞を書いたにもかかわらず文句ばかり垂れるあいつらが悪い――とも思う。 もう一度吐息。いろいろ考えることに疲れた。 ぼんやり視線をあげると、降り注ぐのは蒼穹の光。なんだって俺が沈んでいるのに馬鹿みたいに爽やかな青色をしてやがる。心の中で空に悪態をつくと余計に気が疲れた。土手に座りながら空を仰ぐ姿勢に――それとも俺の悪態のせいで腹筋までも疲れたのか、ばたりと仰向けにひっくり返った。日光で温められた草が首筋をくすぐる。うあー……暖か…… 「……まぁとにかく、まじで釈然としねぇけど俺はバイト行くから。3人でどうにかコウジを連れ戻す策を練っとけよ?」 とニイが言うので僕は唯一当てになりそうなユナミに視線を向ける。 「あ、そうそう。エナちゃんにユウト、ごめんね。私も病院に行かないといけないから」 と唯一当てになりそうだったユナミが言った。つまり、俺とエナでコウジを慰める策を考えろ、と。 まず無理だろ。 ちなみにユナミの言う“病院”とは昔の事故で手術した痕の定期健診だとかなんとか。ついでにメンタルケアの方面で定期健診だとかなんとか。純粋に心配でもあるし、どうせなら僕も一緒について行ってしまいたい。 「じゃあ4時間で戻れるから、ちゃんと考えろよ」 無謀なことを言っていると気づいているのかいないのか、ニイがバックパックを肩にかけながら部屋を出て行った。 「頑張ってね」 言いながらユナミも残された僕とエナに手を振る。 あー……マジで? どうしようと思いエナを見ると、いつも笑顔を崩さないはずのそいつは珍しく真顔で、ソファの上にあぐらをかきつつコウジが置き去りにした紙を眺め口ずさんでいた。囁くような小声であっても相変わらず、エナの中性的な声質と、力強さと、抜群の音感と、その歌声の説得力は健在だ。 たとえば夢とか希望の仲間 もしくは愛とか友情の種類 それがなくては進めない どうしても必要なものがないという僕のこと それを考えるために今この瞬間 足を止める価値があるだろうか いくらキリなくとも考え込むのも悪くない 「“不可欠なもの”かぁ……」 サビを唄ってから、ううんと唸る。エナは次の紙を手に取りながら僕を振り返った。 「ユトさん、ギター弾いてくれへんかな」 「あぁ」 短く返して自分の部屋へ楽器を取りに行く。その間にもエナの唄は断続的に聞こえてきた。居間に戻りソファに腰をおろしてギターを抱えると、今度は静かに歌詞を黙読していたエナが唐突に動いた。手にしていた紙を何枚もの紙が乗るテーブルに重ね、その一点を指差す。それは詞というより文に近く、読点と句点が多用された詞だった。 「ここ、どうにか曲のほうで合わせられんかな? あたし、これ唄いたい」 僕は黙ってエナの指した箇所を見てからギターを弾いた。何回か四苦八苦してからようやくまともな形に曲を書き換える。 「うん」 書き直された楽譜と歌詞の書かれた紙を見比べ、エナは頷いた。 「うん」 彼女はもう一度頷き、指先でとんとんとテーブルを叩いてリズムを取る。僕はギターを弾く。 エナが唄いはじめた。 ぼくを奮いたたせるためのうた。誰に作ってもらうんじゃなくて、誰にうたってもらうんでもなくて、ただぼくを後押しするためのモノ。 だから、ぼくのことだから、他のだれでもないぼくのためのうたなんだ。キレイに見せるためのものじゃない。キレイにつくる必要もない。そのままがいくら汚くても、それがぼくの中身なら、あるだけで充分だろう。 ほらみろって今にもこのうたはぼくの一部になるはずさ。 コウジの書いた原稿では、途中に「ぼくのためのうた」という文字が何度もペンでなぞられ強調されていたり、「そのままがいくら汚くても、〜〜、充分だろう。」の語尾にくっついて小さなピースサインが描かれていたりする。あいつはたまにこういうことをする。 唄い終え呼吸をしてふっと笑い、エナは言う。 「つくづくコジさんて、こーいうところ可愛いヒトやね」 「……だな」 苦笑のような呼気を無意識に吐き出しながら、僕は答えた。別に悪意があって言うわけではないがコウジはこういった女々しい部分があるから余計にエナに虚弱虚弱と虐められるのだと思う。そういうところも含めてコウジという人間なわけだが。見た目が虚弱っぽいのは本当だし。 「……今ごろ、なにしとるんやろ」 ぽつりと言う。 こっちが恥ずかしいくらいに自分の気持ちを吐露してくるユナミと比べると、エナは若いだけユナミとは別の方向で不器用だ。ユナミは直接感情を口にすることしかできない自分を不器用だと笑うが、逆にエナは(おそらく“先生”の件が原因で)はっきり自分の感情を口にすることが苦手らしい。いずれにせよ、僕たちは過去に振り回されながら不器用に現在を生きている。 「携帯、電話してみるか?」 訊くと、 「コジさんもユトさんと同い年のはずなんやけどなぁ……。本当、世話の焼けるヒトやね」 肩をすくめながら言い、そそくさと立ちあがった。僕は心の中で「お前もな」と付け足した。 とりあえず脳内での第一声は「ここどこだ?」だった。 目蓋を開ければ目に飛び込んできたのは薄闇に染まりはじめた夕焼け。少なくとも屋外らしいことは理解できた。どうやら無防備にも川土手に寝転がって本気で眠っていたらしいことも理解できた。馬鹿か俺は。 現在時刻を確認しようとジーンズのポケットに手を突っ込む。 「あれ」 手には布しか触れない。 やべぇ。俺、携帯忘れてきた。 近くにあったからという理由でユトさんの携帯を強奪するように奪ってコジさんの携帯に発信する。それにしても電話帳に登録してある件数がバイト先以外にバンドのメンバーだけってどういうことだ。 さっきはコジさんと比べてユトさんは大人やなぁとか思ってしまったけれど、ある意味でユトさんのほうが危うい人なのかもしれない。実家の電話番号すらないなんて、ちゃんと生活できているのだろうか――と思ってしまってから、まさかもう両親を亡くしているわけじゃないよね、と思い立ってぞっとした。まだこの人はハタチだ。 いつまでたってもユトさんの携帯からはコール音が聞こえるだけだった。 「エナ」 コール音を何十回も聞いているとふいにユトさんが呼んだので、 「なにかあ」ったん? 訊きかえそうとした口を言葉の途中でぐしゃりと塞がれた。 「音」 言われて耳をすませ、ついでにユトさんの携帯をしまおうとすると、 「呼びだししたまま。耳からはずしてみろ」 指示されたとおりにすると、ぴぴぴぴぴぴ、とデフォルトのコール音が遠くで聞こえていた。 あたしたちの中で携帯の着信音を購入時から変えていないのはコジさんだけだ。 「…………」 あたしは無言でユトさんに携帯を返す。 「馬鹿コジ」 小さく悪態をついた。 結局、僕はエナを連れて(エナに連れられて?)コウジを探しに出たわけだが、これがなかなか捗らなかった。このままじゃ脱水症状になりそうだとか大げさなことを言い募り、しかも自分の財布を持ってきていないとかふざけたことを抜かすエナにせがまれコンビニで緑茶を買い与えたり(あとで金返せと言ったら、半分あげるから70円な?と言われた。そもそも150円の商品だ)していたら捗るはずもないが。 「ユトさん、ユトさん。花火買わん?」 「あー……お前いい加減に精神年齢を実年齢に近づけろ」 レジの前でパック詰めの花火を手にしてはしゃぐエナに言うと、そいつは明らかにむっとした表情で「もう一致しとるわ」と低い声を出す。仕方なく僕はペットボトルと共に花火のパックを店員に手渡した。 コンビニを出てしばらく歩くと、偶然にもバス停でユナミと遭遇した。 「ユナミさんやん! 見て見て、花火買ったで!」 目を丸くして駆け寄るエナを見たユナミは「本当?」と聞き返し、「今日、皆でやろうと思ってん」と笑いながら言うエナに「そうね」と笑顔で同意していた。女というのは(もしくは真っ当な日本人は)風物詩が好きなのだろうか。 とうに暗くなった道を3人で歩き、たまに専門学校へ行くコウジの自転車の荷台に無理やり乗ってバイトへ向うエナが「コジさんは川原が好きっぽい」と不確定極まりない情報を持ち出し、とはいえどこを探せばいいのか見当もつかなかったので僕たちはアパートからそう離れていない川の土手へ向かった。歩きながらエナは「スイカも欲しい」と言い出し、「あれ、そういえばエナちゃんお財布持ってるの?」とようやく気づいてくれたユナミが訊ねると、エナは満面の笑顔で「うん」と返しながら僕の背を叩いた。冗談じゃない。即刻否定しておいた。 と、ぽつりと一滴の水が空から降り落ち、それに気づいた途端にざあと視界が白くなるほどの大雨が地上に注いだ。 悪いことは重なるもので、そうなった日にはもう救いようがない。逆ギレして部屋を飛び出してみれば携帯は忘れるしうっかり川土手に転がって寝ているし、しかも遠慮なく大雨に降られる始末。慌ててどこかに避難しようと立ちあがれば濡れた草で滑って転んだ。 「あー……もう……」 半ば自棄になって仰向けに倒れたまま大きく声を出した。声量と比例して開かれた口に雨水が打ちつける。こんなにも強い雨が眼球に直撃するのだけは恐いので目蓋を閉じた。 「どうする?」 どうするもこうするもない。こんな雨が降ってきたからこそ早くコウジくんを探さなくちゃいけないでしょう? 私がそう答えるとエナちゃんが何度も頷きながら同意してくれた。でもひとりユウトは渋い顔で――あぁ、そうか。 「雷?」 まだ鳴っていないけれど、今すぐにでも雷が鳴りそうな黒い雲。ユウトは雷が嫌いだ。 ユウトは人に嘘をつくことをしない。でも無言でいることは嘘と同じで、今黙りこくっている彼の本心はつまり反論の裏側。肯定。 垂れさがった彼の片手を握り、黒い目を見あげる。 「大丈夫よ。もうユウトは子供じゃないでしょう?」それに私がいるから、ね。 最後の言葉は口にしない。思っても口にしないほうがいいこともある。口にしないで伝わってくれたら、それはひとつずつ私の自信になるから。 「えー、なに? ユトさん雷恐いん?」 エナちゃんが明らかに笑いをこらえながら言う。 「……べつに」 ユウトはすごく不機嫌な顔で答えた。 ごめん、隠しておきたかったんだよね? 聞きなれた声。ユウトとユナミさんと、エナだろう。 思わず起きあがって手を振ってここだと答えたくなったが、俺はまだどんな顔で再会していいものか分からずにいる。それにしても、わざわざ雨の中に俺なんかを探して歩き回ることはないのに。あいつらはいい奴だから。 まだ見つかりませんように。と祈る一方で見つけて欲しいと思う自分もいて、この曇り空の向こう側にいるのかもしれない神は俺の裏側の望みをかなえた。 「コジさんっ?」 とエナの声。ぴちゃぴちゃと路面の雨を跳ねながら走る足音。ざざ、と濡れた草を滑る音。 「やっぱり。何しとんねん、こんなとこでー。自分馬鹿やろ」 馬鹿っていうな――そんなの、俺が誰よりも知っているから。 「大丈夫、コウジくん?」 とユナミさんが訊いてきて、「びしょびしょじゃない」とバッグから出したタオルでわしゃわしゃと俺の髪を拭く。やっぱりユナミさんは優しい。優しいけれど、後が恐いのであまり優しくしすぎないで欲しい。 「ごめ……だいじょぶ」 とようやく目蓋を開けると、予想に反して3人は傘を差していなかった。 マジ? 呆然としていると頬に衝撃。 「雨宿りくらいせんと風邪引くやろ」 と俺の頬を力いっぱい抓るエナになぜか叱られ(それはこっちの台詞だ)、土手におりることなく舗道にしゃがんでいたユウトは小さな嘆息を吐き出した。 「曲」 あー……まだその話終わってなかったっけ。マジで立場ねぇ。 「書き直したから」 え? 「エナが気に入ったやつ。曲を合わせた」 どうしよう。泣きそうだ。 ごろごろ、と遠くから雷鳴が聞こえた。 「っ……!」 私は反射的に肩をすくめてからユウトを見あげる。あー……固まってる。 急いで何十センチか土手を登って舗道に立つと、ユウトの隣にしゃがんでから彼の片腕にぎゅうと抱きついた。傍から見れば私が恐がっているように見えるかもしれないけれど、私は私なりにユウトを元気づけているんだから。これが一番都合のいい方法に思えた。 土手に座ったままこちらを見あげて目を丸くするコウジくんが言う。 「……やっぱりユナミさんって可愛いよな」 ごめんコウジくん。今の行動に関しては全部、計算づくなの。 私は曖昧な笑顔で応えた。 きっとこうなっていると思ったが、やっぱりそうか。傘を持ってきてよかった。 「何してんだよ、お前らは」 俺は呆れた声を出して、雷も鳴る大雨の中、土手に留まる傍から見ればとても馬鹿な奴らに歩み寄った。バイトを終えてからかつてないほど急いで部屋に戻ってみれば誰もいない。そりゃこういう展開を予想してはいたが、こいつらは4人もいて雨宿りという発想がないのか? 「あ、ニイさん!」 エナが声を返し、俺は「おう」と短く答えてから一本ずつ傘を渡した。 それぞれ傘を差してアパートに戻る道、今だかつてないほど会話が成り立たなかったのであたしは小さな声で唄いはじめた。今日完成した、あのうた。 覚えているだけを唄いあげ、あたしは横目でコジさんを見る。 「無茶苦茶しんどいベース入れたるから覚悟しぃ?」 そういうことは編曲するあたしに権限があるんだから。ちょっとは思い知るがいい。 「……頼むエナ。ヤだ。絶対にヤだ。お前の言う“無茶苦茶”は本当にプロだって弾けねぇようなギミック使うんだろ?」 と哀願してくるのであたしは答えた。 「これだけ息継ぎなしで唄わせといて何言うとるの?」 我ながらまったくだ。絶対、唄いながら血管浮くよこの歌。 再び会話が途絶えたとき、ニイさんが言った。 「ところでエナ、その袋なに?」 あ。 「……花火……のはずやけど」 この雨だからね。 あたしが袋を覗き込むと、ビニールでなく厚紙で止められた花火パック上部から雨水が浸水していた。 「……花火のはずやけど……」 もう一度繰り返し、「ばかコジ!」と「コジさんのせいやで!」と騒ぎながらあたしは元凶の人物にくってかかる。せっかくユトさんに買ってもらったのに! 翌朝。 「エナ」 とユウトに呼ばれたエナがソファに座る彼の傍に行くと、一枚の紙を渡された。 「花火が840円。緑茶が150円」 淡々とレシートを読みあげるユウトにエナが反論する。 「お茶は半分あげるから70円って言ったやんか」 「貰ってないし」 ぐ、と言葉をつまらせるエナの視界にトーストをかじるコウジがとらえられた。 「花火代っ!」 駆け寄るエナが怒鳴り、コウジは一言で答えた。 「……は?」 またも朝から喧々諤々とはじまった2人に眉を寄せつつ、珍しく寝坊していたニイが自分の部屋から出てきた。 「うっせぇな。今度はなんだよ?」 「コジさんがぁっ!」「花火が!」 前者、エナ。後者、コウジ。まったく同時に声をあげたエナとコウジに嘆息をつき、ニイはユウトに事情を訊ねる。その間にもヴォーカリストとベーシストはファンが聞いたら愕然としそうな最高にくだらないケンカを続けた。 簡潔に事情を聞き、ニイは判断をくだす。 「コウジ、エナ。割り勘」 ユウトに花火代を返したあともエナがことあるごとに「虚弱」と呟いては八つ当たりのようにコウジを虐めるので、就職のための面接へ出かけようとしていたニイは嘆息まじりに言った。 「コウジ、うるさいから花火くらい買ってやれ。以上」 と言い残して出かけるニイに、兄弟ゲンカとは“我関せず”でテレビを眺めていたユウトが声をかける。 「いってら」っしゃい。 4文字ほど足りていない文句にも慣れたもので、ニイは短く「おぅ」と返して出かけていった。 次のライブのため、曲作りの日々はもう少しだけ続く。 了 一言でもコメントいただければシリーズとして書く気力も湧きます。 ≪ □ ≫ |
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